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由緒正しく美しい『深江神社』

近くに住んでいるのに
こんなに由緒正しく美しい神社とは知りませんでした。

 

『深江神社』

 

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以下、神社内の説明書きより。

 

深江神社御由緒
祭神:王依姫命 (神武天皇の御母)宝満宮
菅原道真命 (野見宿祢十世の孫)天満宮

建久八年(1197年)高祖城原田種直公は、
原田家再興の守護神として、
竈門宝満宮及び太宰府天満宮を上深江片峯に勧請されたが、
境内の狭隘を恐れ、
建仁三年(1203年)深江現在地に御奉遷鎮座申し上げられた。
これが深江神社の起源である。
降って豊臣秀吉公が名護屋城在陣の
折り天正20年8月(1592年)当社に参拝された時に、
奇しくも秀頼公誕生の報を受け、
秀吉公恭悦斜ならず、
当社は秀賴公の産神なリと思召された。
早速、時の領主小早川隆景公に命じ、
御社殿を再興させられ、
なお、秀頼公誕生を記念して深江神社の宮司の坊を
誕生山神護寺秀覚院と改号された。
隆景公も石の鳥居を奉納されたのであるが
現在の第二の鳥居がそれである。
慶長十八年(一六三年)唐津領主寺沢志摩守は
当社に百間四方の社地を寄進され、
なお大久保加賀守の代に至るまで、
年々米二石の 献納が行われた。
享保二年(1717年) 中津領となってからは
怡土郡西十四ヶ村の総宗廟として、
近郷近在 の尊崇厚く、
秋の神幸祭は殷賑を極め、
大正初期までは流鏑馬行事も行われ、
盛大な神事であった。 

 

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境内には
①深江神社
皇大神宮
③川上宮
④外内神社
⑤稲荷神社
須賀神社
秋葉神社
⑧太閤お茶会跡

がありその他、御神木、飛梅もあります。

 

外内神社由来記

祭神:大山咋命(酒造の神)
祭日:四月十六日、九月十六日
勸請再興:明治二十一年三月十五日

外内神社と稱し、
祭神は大山咋命(日吉 山王とも松尾の宮ともいう)
勧請の年は不明であるが、深江の里南の方、
二丈岳中腹字「ゲナイ山」の森に鎮座してあったものを
明治二十一年三月十五日外内山から
深江神社境内の現在の地に移転鎮座。

神域である外内山の境内、
および附近の 楠の大きな森をなし昼なお暗き状にして、
村人等は毎年に八月は深山路踏別けて参拝し、
祈願をが、安政年間には一部の御神木を基の御輿を購入、
又明治二十年神占新らしく祭祀を厚くし、
年々神の行盛大に行ない永年継続すれば良しとの神の許しを得、
村人等が協議し、楠から樟脳が取れる事を知り、
この大楠を当時の金で壱千五百円で売却、
この金のうち七百をもって深江小学校を建築し、
外内神社を移転、祭祀を行なうようになった。
当時村民よりの負担なく、
郡内一の学校を建て得た事は外内の大神様の御神である。

 

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